百聞は一見にしかず
人から話を聞いて、「あーそうかー。やっぱり?ほんなら止めとこか。」
っていうのをみなさんやっていないだろうか。
実はそれで損してる事、あるのかも!?!?
わいも数年前まで「口コミも大切だぜ。」って思ってあぐらかいてた節がある。
けど、最近ちょっとまた変わりつつある。なんでだ、これ?
これも必殺40手前がナセル技??
そうなると、さくっと見られるネットでのレビューとかそういうの、
なんか全部が全部嘘くさいなーと思うようになってきてしまった。
最近では大体の企業にソーシャルメディア担当者がいるぐらいだし、
書こうと思えばやっぱりなんとでも“釣れたり”するんだと思う。
昔の人達はほんまうまいこと言うてるなーというか、
百聞は一見にしかず。まずは自分の目で見てから、というのは
本当に、、、もうはい、あなたの言う通り!座布団10枚!的な勢いで、
まさにスポットオンなフレーズなんだなーと思う。
いくら良し悪しを聞いたとて、結局のところそれは相手の尺度で
見られたものだから、自分に合うのかはわからない。
いや、釣られたのかもしれない。笑
他人の意見で選択肢を間違ってしまう恐れも出てくるので、
(それはそれで結果オーライないい時もあるのかもしれないけれど)
まずは自分の目で見て確かめた上で、(あー、やっぱりそういうことか)
というのとでは、万が一、「あ.....」の時があったとしても諦め具合が違うのであろう。
やって後悔っていうのと、やらないで後悔って多分自分の諦め度比重が結構違うよね。
最近、本当この百聞は一見にしかず、をすごく感じる事があって、
自分が満足するまで何度も動いて足を運ばない事には、求めているものって
そう簡単には出会えないっぽい。そういう法則っぽい。
で、んーーはて。と困っていると誰か必ずキーパーソンが現れるっぽい。と自己完結しつつある。笑
これをやらないで上辺だけのリサーチで満足してしまっていると、
必ず地球一周回ってそのツケが帰ってくる時があるので、
種撒いて、根を張る的な地味なプロセスは頑張るようにしている。
結局のところ、いくらネット社会だとか言いつつも、人と関わらないと
人間ってやっていけないんだと思う。繋がらないと、孤独では生きていけない。
はい、そんな風に考える事がポツポツ現れつつ、そろそろルーの小学校なんかも
考える時期に来ております。笑 こちらは年長さんを小学校内でやることになるので、
4歳になる時点で、みんなそわそわし出して、お宅はどこ行かすの?ってな会話が繰り広げられます。
これは色んな育児系ブログで読んでいて、ふーん。(゚∀゚)なんて鼻くそほじりながら読んでたけど、
本当にそうなんやーってなりました。笑
昨夜、急に参加することになってしまった、ルーの保育所のBBQナイト。おぅっ!
仲良くしてもらっている同じクラスのお母さん達とそんな話になりました。
正直、アングロサクソン系のオージー女性って、あー苦手だー意識がすごいあったんですが、
子供を持つ親になったら、共通項【子供】という事で話すネタが増えたので、
そういうのが薄れた気がします。実際話してみると実は日本語を高校の時習っていた、
留学していたとか、日本で英会話の先生だった、とか、昔旦那の仕事の関係で住んでいたとかで、
結構ジャパンとゆかりのある人達の多い事!
それと今住んでいる地域は、かなりの確率で結構ガンガン治安悪いんでしょう?とか
言われる地域なんだけど、これも本当百聞は一見にしかずで、8年前に実際見てみて
自分達が気に入ったから引っ越したんだけど、移民が多く結構な人が【外人】慣れしているエリアだと思う。
保育所の先生方もアジア系移民で来た人も多いし、辛抱強く【聞く】事をしてくれる人達が多いので、
気楽で浮かないし、この保育所でよかったなーーーとほっこりした日なのでした。
しかし今の問題で一番近所の小学校は、悪い噂しか聞いた事がなく、
行かせたいなと思っていた小学校は今年から校区外のルールができてしまって
入れなさそうなので、ここ数年すんごい落胆していたんだけど、
これも一番近所の小学校にも実際足を運んで見てみないとなーー。
小学校からIB(インターナショナルバカロリア)やってるからお兄ちゃんはそこにした。
なんて話も聞いて、(え?っていうか、そんな小さい頃からアカデミック?)と
自分の教育方針て何だ?的に考えつつ、スーと一度じっくり話もしないとなーと思いました。
久々に夫婦デー作らないとだべ。
日本だと、うちの地域周辺で自分がやってきた事だと、
小学校は近所の小学校行って、大半の子が近所の中学に上がって、とかなのでしょうが、
海外で親になるって本当、自分が習慣を知らないところからのスタートだし、
校区とか気にしなくてもいいところもあるし、自分のライフワークバランスを見極めつつ、
色んなオプションからの選択肢が多いのでなかなか考える事が多くて大変です。
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by ponzu_77
| 2016-03-10 15:01
| 子育て
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簡単!人参粉砕サラダ
FPでガーッと細かくして、シナモン少々、シェリービネガー、はちみつ少々、オリーブオイル
塩コショウで味を整えます。
この時はプイレンティルとコリアンダーも入れて、ボリュームが出る感じに仕上げました。
パントリーに眠っていたナッツやら、ドライフルーツも入れて使いきったぞー感満載。
この時はおもたせに持って行ったサラダの石榴が余っていたのでそれも入れました。
ゴージャス感増します。石榴入ると。^^
今迄人参サラダってまじめに包丁で刻んだり、ゴリゴリ削ってみたりしてたけど、
粉砕サラダ、人参のキレイなオレンジで見栄えするので、コリアンダー苦手な人とかは
これをサラダほうれん草に変えたり、レタスにしたり、粉砕パセリも一緒に入れて、
タブレ風にしてみたりとか、色々できると思います。
とにかく粉砕人参さえ入れたら、ok!な感じです。
時間ない時とかはガーッとやって、サラダリーフ混ぜるだけでokで便利ですよー。
お試しあれ♡
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by ponzu_77
| 2016-03-10 07:46
| サラダ
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Comments(0)
フェアな立ち位置で暮らしてみる。
ピッタリ当てはまるようなブラックシープだったと思う。
訳の分からない校則と権力に(???)日々がクエスチョンマーク満開で、
人間的に尊敬できるような先輩はおらず、ただただ、訳の分からない時代の基準で図られた
体育会系の先輩や顧問の"しごき”や"生活指導"というのが、全く理解できなかった。
冒頭の写真のように、常にモヤがかかったようなそんなすっきりしない日々を過ごしていた。
ただ単に多感な思春期で、両親は見放さずに育ててくれたので、とてもありがたかったのだが、
この時から、都合だけで話をする公平ではない大人、一人の人として認めて欲しい承認欲求、
社会感には疑問を覚えていたのを今でも覚えていて、14歳の時の自分の根底にあるものと、
ほぼ全ての事を懐疑的に見てから考えるというスタンスは25年経った今もあまり変わっていない。
その当時、今から考えると大変失礼なのだが、(かなり上から目線で申し訳ない)
同じ年頃の子達とは話が合わない、と思っていたので、
そこまで仲良くなれる友達はいなかったし、中学時代は本当に息苦しくて、
心底早く卒業したい、と思っていた。中学の友達で連絡を今でも取るのは、
一人か二人ほど。
そんな中、同じ位置で話せる人達がいて、今で言う、"ギーク(おたく)"的な
世間からはいわゆる、ダサイと言われているような人達だったと思うけど、
色んな事を見聞できるいい機会だったので、あの人達がいてくれてよかったと思う。
っていうか、きっとわいも“ギーク”なんだと思う。それを無理して、
クラブは体育会系じゃないと、ダサイ的な訳の分からんプレッシャーに負けて、
そこに無理やりフィットしないといけないと思っていたから、苦しかったんだと思う。
今思えばわいは小学生の時から演奏会等音楽が大好きやったので、文化系なのだ、元々。
多分当時は両親もわいという問題児にいっぱいいっぱいだったと思う。が、どっかの
専門家等にちょっとしたアウトソースをして、どっかで誰かが、違う視点で見てくれて
アドバイスをしてくれてたら、もう少し人生変わっていたのかもな、
と今になって思うが、それは過ぎた事でどうしようもできない。
でもルーがもしそんな風に行き詰まったら、世間からは(???)と
理解されないような事でも、一緒の目線になって、一人の人間として話をしてやりたいし、
家族は交換が効かないのだから、忙しい忙しいと大事な事から目をそらせないようにしようと思う。
生きているだけで丸儲けなのだ、本当に。感謝せねば。
話がそれた。
ま、そんなわいの事はいいとして、そんな自分の経験上、基本今でもフェアな横の関係というものを好む。
縦の権力行使的な繋がりほど、意味の分からない繋がりはないと思っている。
わいにとっては、そういうものは時代遅れのナンセンスなものでしかない。
誰しもが憧れというものをもつのだが、憧れ、という時点で上下関係が出来てしまう。
憧れている人>自分 すでにその人が上で、自分は下になってしまっている。
他に、自分が一緒にいて(あーーー疲れるなーーーー。)と思うような人はきっと立ち位置が違う。
話しが咬み合わないなーー、この人。と思う時は大抵、フェアな立ち位置ではないから、
身を引くか、やっぱり段々フェードアウト気味に会わなくなってくるものだ。
憧れのそういう人に会った場合等にそう感じた場合は、
(わいの修行がまだ足りんねんな、切磋琢磨しよう。)と思う事にしている。
それでまた将来会った時にしっくりきて、、、と実際そういう風になった人達もいるし、
そこから繋がる何かもあると思う。
そんな自分にめちゃくちゃしっくりきてて、自分の中で今一番ホットやなーーーと思うのが、
ソーシャルエンタープライズ(社会的企業)と呼ばれる団体様御一行。
なんじゃらほい?な人はWIKIPEDIAに詳しく書いてあるので、
そちらを参照してもらったらいいのだけれど、
社会問題の解決を目的として収益事業に取り組む事業体の事
乱暴な言い方をすれば、社会問題が解決したら社会がよくなるからその問題解決に
時間やお金を投資しようという試みであって、慈善事業とは違ってとてもフェアな関係だと思う。
慈善事業や世界的な経済援助なんかも個人的な意見で言えば、かなり上から目線で、
(私達が救ってあげなきゃ、あなた達生きられないでしょう?)的な負の永久スパイラルが出来上がっている気がする。
あなたには、自分で立て直せる能力がないでしょう?と個の可能性を否定したような
過小評価も甚だしい上下関係が見え隠れするので、なんとなく自分には合わないなーと感じている。
その点、営利起業という形でのソーシャル・エンタープライズだと、
それぞれが思う社会問題に焦点をあてて取り組み、必要であれば、
あなたに足らないスキル(技術)は◯◯だから、うちで勉強してって!
っていう明朗会計&透明性、将来への希望があるので、見ていてとても気持ちがいい。
孤立しないで、人と繋がりながら自分のステージを上げていくっていうのは、
本当に素晴らしい事だし、将来そんなソーシャル・エンタープライズな仕事が
できたらなーと思ったりもしつつ、今自分ができる事を日々切磋琢磨したいと思う。
以前上げたStreatやKinfolk(↑)は機会があればいつでも行きたいが、
RACVという日本でいうジャフみたいな団体が発行した DEC/JAN 16の雑誌に載っていた
こういう社会的起業カフェリストがあったので、参考のために載せておきます。
メルボルンの方々でこういうのに興味があれば是非。
わいも最近なかなかリッチモンドとか、フィッツロイまで足を運べる事がないのですが、
近所に行ったら、勇んでそういうカフェを利用したい!これまた、わいはこういうものにも
フェアな関係を求めるので、笑 食べ物&コーヒーが美味しいところじゃないと、ですが。
CAFES THAT LEND A HAND (ソース:RACV DEC/JAN 16)
- Streat Cafe, Five outlets, visit: streat.com.au
- Feast of Merit, 117 Swan St, Richmond
- Long Street Coffee, 45 Little Hoddle st, Richmond
- Charcoal Lane, 136 Gertrude St, Fitzroy
- Shebeen, 36 Manchester Lane, Melbourne
- Kinfolk, 673 Bourke St, Melbourne
- Lentil as Anything, Five Outlets, visit lentilasanything.com
- Scarf, scarfcommunity.org
Shebeenはcityにあるみたいだけど、行ったことないので、行ってみたい!
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by ponzu_77
| 2016-03-08 09:10
| ぶつぶつ
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